頭の中の整理のためのブログ

日常で感じるはてなを、自分なりに論理立てる訓練の為の記録

お買い物についての頭の整理(車)

故(ゆえ)あって車を買うことになったので、頭の整理を記録。
 
 
僕は、小さい頃から車をかっこいいと思ったことがあんまりない。
だから、免許を取って車を運転しても楽しいと思ったことはあんまりない。
経済的に考えれば、車を買うよりもタクシーを使ったほうが合理的だと考えている。
技術的にも未熟なので、なるべくプロ(タクシー)に任せたい。
なので、車を買おうと思ったことが一度もない。
出来れば運転手さんが買いたい。
フルオートパイロットが欲しい。
 
 
例外として、高校生の頃から、ユーノス・ロードスターには憧れていたので、社会人になって、ロードスターに乗るために免許をとって、3年くらい乗った。
子供が生まれて使えなくなったので手放し、その後は車を買ってない。
 
 
ところが、
子供が4人になって、そろそろ末子が保育園にいくようになると、タクシー1台に家族が乗らないようになってきて、大誤算(苦笑)。
 
 
ざっと試算した感覚だと
 
 車体購入で100万円以上〜数百万円規模、
 保険や税金で約10万円/年、車検で約10万円単位/数年
 駐車場で数千円〜数万円/月、ガソリンや洗車で1万円/月。
 ランニング経費をならしたら、毎月数万円を固定費として使っている計算になる。
 
 タクシーとレンタカーなら
 これまでは、週に1、2回、1,500円分くらいのタクシーを使う程度。
 遊びに行く週末はレンタカーで1万円使ったとして、毎月3万円あればOK。
 家族全員でタクシーを使うことは少ないし、多めに見ても2倍にはならない。
 それに何より流動費。
 
なので、経済的な観点だけから見たら、タクシーを多用するほうがずぅっと経済的。
 
 
僕は都心に住んでて車を持ってる人は、毎日少しずつタクシー台を支払うのは財布がチクチク痛いから嫌なんだけど、車を買うような大きな買い物は感覚が麻痺するので、OKな感じになってるだけなんだと感じている。
注射は嫌だけど手術はいいか、みたいな感じ。
 
 
ただ、ここ最近、車が無いことで感じるのは、
①台風など、世の中全体が車を使いたい時には、不便。
 全然予約が取れないし、大雨の中タクシー乗り場で並ぶのは大変。
 
②長女が小学3年生になって、一緒になって遊んでくれるのはあと数年と予想。
 彼女のためにいろんな経験をさせてあげたいし、僕もたくさん思い出を作りたい。
 
③実家への帰省など長距離を車で移動できると楽チン。
 最近、子供が増えて&大きくなってきて大阪の実家への帰省(新幹線)は交通費だけで10万円くらいかかる。
 
 で試算すると、、
 タクシーとレンタカーを使いまくるのがなくなることで、毎月3万円の経費減と仮定する。
 加えて、年に2回の10万円の帰省交通費が半分くらいになると予想。
 
 すると、年間の経費削減額が
 △3万円 × 12ヶ月 + △5万円 ×2回 = △46万円 →毎月4万円程度節約?
 
タクシー2台使ったとしても、タクシーを使ったほうが安いんだろうけど、
それでも①と②の効果を考えると買ってもいいか、と結論。
 
 
早速、買う車の基準を妻と相談して決めて
①安全第一 → 国内メーカーの最新モデル
②乗車者数 → 3列目が快適に乗れないと長距離は無理 →ミニバン以上
③経費&エコ → できれば燃費がいい車 →新しいモデルのミニバン
 
検討、試乗の結果、
HONDA の STEP WGN SPADA Honda Sensingに決定。
幸運なことに、2016年度のモデルで白にするなら、、と、在庫の関係で30万円ほど割引にしてくれた。
 
日産のセレナも最後まで比較したんだけど、オートパイロットがイマイチ不便なのと、運転感が軽すぎるように感じたので、安全性の観点からSTEP WGNに決定。
営業の方は日産さんのほうがいい人だったけどね。
 
以上

Bリーグ開幕戦の感想

Bリーグの開幕戦、第2戦を見てきた感想を記録。

 

結論:開幕戦観戦は最高だった。

 

天気はあいにくの雨だったけど、観客数は約9300人との発表。バスケでそんなに集まることがまず凄い。観客内訳としては老若男女混じってて、少しオヤジが目立ったけど(お金を落とす)顧客の配分としては悪くないんじゃないか、と感じた。


ゲーム前の開幕イベントは過剰で冗長だと感じたけど、記念すべき開幕ゲームを盛り上げるためには非常に良かったと思う。

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※体育館で火って!熱っ!てなった。

 

何が一番驚いたかというと、全面コートのLED!

ボールの跳ね具合とか、シューズのスリップとか、耐久性とか、気になることはたくさんあるけど、ゲーム前後、ゲーム中、通して感動的と言っていい演出だったと思う。スリーが入った時とか、コートの色がグワーッて変わるのは、今後、NBAにも使われるんじゃないかと思うくらい。

 

 

肝心のゲームの内容としては、東京アルバルクのコントロールで終始した面白みのない試合だった。

東京の強くて高いディフェンスにやられて、沖縄が中にボールを入れられず、中途半端なジャンプショットやフローターを打たされてばっかり。

ボールを中に入れてないから外からのシュートへのチェックがきびしくなって、昨日は入ってたスリーも散発的にしか入らない。

沖縄の選手はもちろん頑張ってたけど、やり慣れない全面的LEDコート、何より大声援の雰囲気にやられてか、イージーなシュートを外しまくって、まるで高校生県大会のゲームを見てるみたいだった。

「高校生か!」ってヤジりたくなったよ。(野次ったけど)

第一クォーターの途中まで10対0とか、プロのゲームとしてはありえないスローゲーム。東京ももうちょっとエンタメ面を考えろよ、っていう感じ。

 

そんな中、キングスで1人気を吐いてたのが、マクヘンリー選手。2メートル超のムキムキで、ゴール下で頑張るのに加えて、ボール運んで、ピック&ロールに加わって、中距離から打ったり、、大活躍だった。先輩と呼びたい。マクヘンリー先輩!

確か、先輩は第1戦も、最終クオーターですごいダンクをした。さすがっす。。

 

で、それより、審判!

ゲームの流れと関係ないところで、バイオレーション(トラベリングとか)取るなよ!

「優等生か!インターハイか!」ってヤジりたくなった。(野次ったけど)

 

スポーツマンシップとルールはもちろんとっても重要で、それが無いとゲームは成り立たないんだけど、でも、プロスポーツはエンターテイメント性ありきでしょう?あんまり堅いことをやってるとつまんなくなるぜーって感じ。

 


東京アルバルクの選手は満遍なく仕事をしてた。田中も安定してシュート入れてたし、全員のディフェンスが良かった。最後はスタメン外す余裕も出てたし。

で、アルバルクで際立ってたのが、ギャラップ選手!クイックネスと、しなやかが突出してた。さすがNBAでプレイしてただけのことはある。カットインからのアシストとか、スリーポイントラインから、一歩入って出ての柔らかいスリーとか圧巻。MIPも取ったし。当たりの日だったんだと思う。

 

 

で、ゲーム後、ゼストで食事をしてたら、となりにギャレット一家が座る奇跡!

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※今夜のゲームの感動を伝えて、飲み物を奢らせて貰いましたー!役得!!

 

ゲーム内容や審判には改善点を感じましたが、それでも、これまでのbjリーグNBLには感じなかったエンターテイメント性、そしてバスケットボールの将来性を感じて、とっても満足できる経験でした。

 

人材育成について②

今年から研修担当を拝命したこともあり、人材育成に関する幾つかの勉強会に出た際にたまに聞く、

 

育成する側の「若者に成長意欲が無い!」

と、
育成対象とされる側の「成長しなくても死なない。」
の構図について頭の整理。

 

結論としては、どっちもどっちだけど、8:2で口説く側の力不足だと思う。
例えば、好きな人に好きになってもらうためにいろいろ努力したけど、それが叶わなかった状況に対して
「あの人は私の事を好きになってくれない!」と
「私はあの人を好きになれない。」との
どっちに正当性があるかって事だと思う。

 

 

自分の年齢的に、育成する側の意見を聞くことが多く、
「若い人たちが成長しないと組織が強くならない(成長しない)。」とか
「成長は結局は若手(本人)たちのため。」
という建前をよくお聞きする。

 

で、もっと根掘り葉掘り聞いたら、
・自分の仕事はどんどん増えていくんだけど、仕事を振れる若手がいないので、いつまでも大変。
・自分が若い時のように、やりたい事をガンガン言ってくる若手がいない。今、上司から新しい事業を求められているが、それは若手の仕事だろ?
・自分は違う事をやりたいんだが、抱えてる仕事が多くて出来ない。
・若手に残業をさせられないので雑務を自分がやってる。効率よく若手に処理してほしい。

な・の・で、
「若手に育って来て(もっと仕事をして)欲しい」みたいな本音が見え隠れする。ウゲー。。

 


一方、一般的に若手と言われる方々に意見を聞いてみたら、表面的には「頑張ります!」というものの、
「時間的には既に大変です。」
「プライベートの生活を変えたく無い。」
「新しいことを言っても却下されるし、給料も上がらないのでヤだ。」

という意見。


こちらも根掘り葉掘り聞いてみたら、、
・残業時間を確認したら、月で10時間もなかったり(残業は無い方がいいんだけど、月でヒトケタって「大変!」っていうレベルでは無い。)
・プライベートを大事にしたいっていうそのプライベート活動を聞いたら、ゲームしたり、昼から飲みに行ったり、猫を撫でたり(それがダメと言うわけでは無いけど、成長しなくても死なないように、猫を撫でなくても物理的には死ねない。)
・給料の上げ方について聞いても、具体的な計画は無いし、「給料じゃ無いんです」みたいな精神論を出してきて、

 

要は、
「頑張る理由も頑張らない理由も特段なくて、ただ、知らない事をするのが怖い(めんどい)」
という本音が見えてきた。

 

 

で、双方の意見を聞いて、ぐるぐるっと考えて出てきた感想がみっつ。

 

ひとつ目は
お互いが「自分が楽(らく)をしたい」
という思考が大元(おおもと)にあったら、それは相入れないってこと。

例えると、
お互いが自分の守備範囲を守って、それを更に狭くしようとしたら、ポテンヒットが増えるってことだろうと思う。

 

ふたつ目は、
育成側は心のどこかで自分や会社がより良くなったら嬉しいよね!
→「成長って楽しいじゃん!」って思ってて、


育成対象側は心のどこかでやる気の入れ方が見つからない!
→「やる気にさせてよ!」って思ってるところがあるなら、


そこなら繋がるかもしれないな、と感じたってこと。

 

ただ、成長が楽しいのは全面的に同意なんだけど、育成対象がなにでスイッチが入るのかは個人によるので「やる気にさせてよ!」ってのに、「成長って楽しいじゃん!」で応えられない場合、僕の出番が無いかもしれない。(汗)

 

正論としては、個別対応して、一人ひとりのやる気スイッチを押して回るって事だろうと思う。

kenjimatsuki.hatenablog.com


みっつ目は
育成する側も、成長し続けないといけないし、
育成対象も、後輩を抱えてたりするので、
お互いの立場は正対するものでは無く、むしろ重複するところが多くて、

一緒に一緒の(会社の)目標に向かってて、その一翼を自分が担ってるっていう(自己効力感的な)想像力が足りて無い、ってこと。

 

ここを解きほぐすのも、育成に対する温度差による葛藤を解決する糸口になるかも知れない。

 


そして、未だに答えが出てないのは、

成長が楽しい事は本当なんだけど、
成長によって大変になる事の方がむしろ多いし、
挑戦はそもそも失敗を前提としてたりするので、

「大変なこと」を「避けるべきこと」から、
「大変なことこそ限られた時間を投下するのに相応しい、楽めること」に、
マインドチェンジするにはどうしたら良いか。

 

加えて、

確かに「成長しなくても死なない」んだけど、

「成長していかないと良く生きられない」

という事実をどうやって腹落ち感を持って感じてもらうか。

 

もう少し考えよう。。

 


なお、反論に備えて。
育成に関する話し合いの中で、たま〜に、
「成長に必要な努力(負荷)と、その成長によって得られるメリットを比較させて、合理的に判断するように促せば良い。」
ってのを言う人がいるんだけど、そんな合理的な思考がすぐ出来るなら、とっくに成長してこんな課題の対象になって無いので却下。

※ゆっくり伝えていく事は出来ると思う。

人材育成について

今年から研修担当を拝命していることもあり、悶々と考えていることを記録。

 

(子育てにしても社員育成にしても)人を育てることの最低条件であり、かつ、本質的な取り組みは『自分自身が、自分らしくイキイキと生き、成長を楽しんでいる様子を見せる』ことだと、僕は思ってる。


そして、何を伝えるかのコンテンツを考える前に『その人にとってどういう将来が一番幸せなのかを一緒に考える』ってプロセスは必要だろうと思う。

ただ『将来どうありたいか』なんて、そんなに頻繁に考えないし、なりたい姿は移り変わるものなので、本人の中に答えが無い場合が多く、
その時は、本人とありたい姿を一緒に考え、現状から理想像に向かう打ち手のうち、今やるべき役割が繋がってるところを見つけて、僕に何かお手伝いが出来る事がないか、相談して決めるってことが、育成の中身を考える事だろうと思ってる。


本当は、それを全員に一人一人やって、個人の成長を最大限サポートするのが、直接の上司や、これからの人材育成担当のあるべき姿だと思う。

が、事業部では、日常業務を回すのに手一杯になってたり、育成について十分な教育の仕組みがなかったりするので、中間管理職以上への育成は、その上司より人材育成担当が一括して受け持った方が良いんじゃ無いかなぁ、と、何となく感じている。


特に、もともと自然性(じねんせい)が低い人には、
「この人みたいに仕事がしたい」とか、
「あの人と一緒に働きたい」あるいは、
「あの仕事がしたい」といった、
成長や変化を求める動機づけが本人の中に生まれてないと、何を提供しても無駄だと思う。あるいは、とっても効率が悪く、

 

逆に言うと、
「なんでそんなに向上心がないんだ、この、断食クソ野郎!」と逆上しても、更に冷められるだろうし、
自分自身が毎日疲弊してたり、愚痴ばっかり言って成長しない姿を見せてたら
「(あんなに大変で、あんなにカッコ悪いなら)あんな悲惨なことにはなりたく無いので、俺は今のままでイイっす。」
ってことになるんだと思う。

 

なので、
育成担当あるいは担当チームに、その会社として、最も大事にする価値観を体現し、こうあってほしい立ち振る舞いを身につけた『ザ・我が社』と言える人材がいたら、もっとも効率的だと思う。
OJT育成を行う中間管理職全員がそうなるのはちょっと現実的では無いからね。)

 

そう考えると、僕としては、育成対象に何を期待するか、何を教えるか、も、もちろんとっても重要なんだけど、その前に、その人たちをその気にさせるように、

 

自分が
・自分らしくいるか
・イキイキとしているか
・疲弊して無いか
・愚痴を言ってないか
そして
・会社が大切にしている価値観を体現しているか
・成長を楽しんでいるか
・新しい事にチャレンジしているか
を自問して、意識してる今日このごろ。


なお、本質的には(部下だろうが自分の子供だろうが)その人にはその人の人生を謳歌する権利があり、
学ぼうが学ぼまいが、出世しようがしまいが、何を望むかは本人次第なので、

・それを押し付けて無いか
についても絶賛注意中。

『コミュニケーションをとりたく無い』と思ってしまう相手について

なんでそう思うかの頭の整理。


結論としては、相手と自分の行動変容が望め無いって事かと思う。

自分の力不足が大きい。共通の目的に向かって相手に影響するチカラが足りないってことだ。

 


コミュニケーションの目的は、相手に何らかの影響を与え、相手の行動を変えることと、
相手からの気づきにより、自分の意識や行動が変わることの、
二つだと思う。


もちろん、コミュニケーションする行為を目的としたコミュニケーションもあってもいいけど、
『コミュニケーションをとりたく無い相手』には、その行為そのものをとりたく無いので、コミュニケーション行為を目的にしてる訳が無い。

それそのものを目的としてないんだから、何かの目的があるはずで、
それが、自分と相手の行動の変化だと思う。
※意識だけが変わっても行動が全く変わらなければ価値が生まれないので無し。


で、どういう場合に、コミュニケーションを取るモチベーションがわかなくなるかというと『何を言っても聞く耳を持たない』と言う関係じゃ無いかと思う。

 

こちらから話しかけても、その人がただ自論を展開するだけとか、こちらとしては理解に苦しむ持論があって、
「・・したほうがいいよ。」
「これは・・だから、これでいんです!」
「?(何それ?)・・あ、そうすか。。」
が続いたら

 

こちらから言い出す前と、会話の後になんの変化(価値創造)も無くて
言う方としてはエネルギーの無駄なので、ネットとしてはマイナスで、
「じゃあ、いーわない。」
と、なると思う、というのか、頭の整理。


なお、個人的には、、
「お前(あなた)には、言っても無駄だね。。」
と、小さい頃からよく言われてたので、40歳にしてすんごい反省してる、なう。


で、今の自分はどうか。
『自分を頑なに守ろう』、『変わらないでいよう』として無いか。
上司・部下・同僚・その他からの、有り難い意見・アドバイスに耳を傾け、行動を変える意識をしているか。


自分は自分の人生を生きているので、誰かに媚びたり、他人の人生を生きる必要は無い。自分の人生の目的のために生きればいい。

 

ただ、その人生の目的を達成するためのやり方や作法は、より良い方法を試し続けるのが合理的だと思う。

 

そのより良い方法は自分でも見つけられるけど、外部からの指摘もいい刺激になるはず。

 

なので、


反論・批判、異なる意見を歓迎しよう。
行動を、変えよう。

 

と、思った、会社から家への帰りの電車の中。

仕事とは何かについて

最近、似たような相談をいくつか受けたので、一つの会話風にまとめて記録。

 

 

きっかけはある飲み会でのほんの些細な会話でした。

 

若手「おじさーん、仕事って何のためにするんですか?」

おじ「自由のためだよ。」

若手「は?そんなわけないでしょ。仕事って束縛ですよね?」

おじ「そんなことないよ。仕事は自分の自由のためにするんだよ。」

 

その日はこの件についての会話はここまででしたが、若手としてはこの軽い会話が引っかかったらしく、別日に餃子屋で相談を受けることになりました。

 

若手「今日はありがとうございます。でもおじさん、だまされませんよ。仕事を自由のためにするなんて。朝から夜遅くまで、デスクにかじりついて、上司の言いなりになって、資料を作って、なんだかんだやって。それって束縛じゃないですか。自由は、誰かと遊んだり、映画を見たり、何もしなかったり、もっと、楽しいことを言うんじゃないですか?」

おじ「うーん、言葉の定義から合わせた方が良いね。話が長くなるけど、時間は大丈夫?」

若手「終電までならいいですよ。」

おじ「いや、君から相談してきたんだけど、、。」

 

おじ「自由の前に、まず、選択、繋がり、目的の3点を考えたいと思います。」

若手「どうぞ。」

おじ「ありがとう(笑)。選択って何だと思いますか?」

若江「選ぶことです。」

おじ「その通りです。じゃあ、今、君が言った束縛となっている仕事を選択したのは誰ですか?」

若手「上司です。上司が私にやらせるよう決めました。」

おじ「なるほど。では、その上司のチームに入ることを誰が選択しましたか?」

若手「?なんですか、それ。人事ですけど、、。それを続けて言って、『その会社に入ることを選択したのはあなただから、あなたが今の原因を作っている』って言いたいんですか?」

おじ「お、カンがいいねぇ。で、そのロジックに対する反論は?」

若手「どの会社に入っても、今の僕みたいな状況はありますよ。不動産でも金融でもエンターテイメントのジャンルでも、厳しい事務仕事はあるでしょ。なので、どの会社に入るかを決めたことが、仕事を選択したことにはなりません。」

おじ「いいね。その通り。でも、なんで、会社に入ることにしたの?」

若手「意味が解りませんが?会社に入ることを選択したことにも原因があると?」

おじ「そりゃあるでしょ。君の時代には僕の時代よりももっと学生起業家がいたでしょ?僕の時代にもいたけどね。」

若手「いやいや、学生時代に起業とかありえないでしょ。大体その時起業したやつで、今でも社長やってるやつって、僕、知りませんよ。あんなの、流行病(はやりやまい)ですよ。」

おじ「スティーブジョブスもホリエモンも大学中退で起業してるけど?」

若手「あんなのは特異例です。何かできた人がいるからって、全員にそうなれる可能性を強いるのはマッチョのバイアスです。僕はもっと普通のちゃんとした人なりの幸せが欲しい。」

 

おじ「なるほど、普通のちゃんとした人なりの幸せ、を選択したわけね。」

若手「そう来ましたか。」

おじ「まあね。で、その普通のちゃんとした人なりの幸せ、ってのが曲者だと思うんだけど、それを実現してる人って誰?」

若手「悔しいけど、おじさんはそうです。楽しそうに仕事してて、家族が居て、子どももたくさんいて、トライアスロンとかして、いつ寝てんの?って思ってます。」

おじ「あら、ありがとう。で、他は?」

若手「僕の知ってる人で、有名人だと所ジョージさんとか。芸能人になりたいわけではないので、もっとビジネスよりに行くと、建築家の先生とかデザイナーさんとか、良いですよね。面白法人カヤックの社長さんとか楽しそうだし。。」

おじ「へぇ、面白いね。じゃあ、そうなれるよう努力すればいいじゃん。」

若手「それがマッチョバイアスなんですよ。自分で望んで努力して成果を得た人たちが、そうできない人たちに対して『なんでやらないの?やればいいじゃん。』というのは半ば、暴力ですよ。ダチョウに飛べ、というようなものです。」

おじ「ほう。。じゃぁ、どうしたい?」

若手「だから!それがわからないから、相談に来てるんじゃないですか!」

おじ「あ、そっか。ごめんなさい。」

 

おじ「で、僕が言いたいのは、まず、選択ね。どういうことであれ、君の環境を作っているのは、君の選択の積み重ねであることは間違いない。」

若手「そんなことはわかってます。」

おじ「なので、普通のちゃんとした人なり幸せを選んで、会社に入ったのは君の選択。」

若手「知ってますって。」

おじ「で、普通のちゃんとした人なりの幸せを実現している人のような努力はできない、と。」

若手「いや、そういうことではないですが。。」

おじ「あれ?どうした?」

若手「努力ができないわけではないです。」

おじ「じゃあ、やればいいじゃない。」

若手「だから!みんな、あんたみたいに強くないんですよ。禁煙しても続かないでしょ?ダイエットしてても食べちゃうでしょ?人ってそういうもんじゃないですか?」

おじ「おお、そうきた?でも、君は太ってないからわかると思うけど、デブの上司が『おれ、ダイエットしたいんだよね~。健康診断引っかかってさ、どうしたらいいと思う?』と君に相談しながら、豆大福食べてコーラ飲んでたらどう思う?」

若手「正気を疑います。」

おじ「だよね。今、それに似てる。それってマッチョのバイアス?」

若手「うー、、そうですよね。。」

おじ「ただ、人間が努力を継続しにくい弱い存在だ、ということについては同意するよ。やっぱり楽しいことに流されるし、それも人生の彩りの一つだと思うからね。」

若手「お、そうですよね。そこがわかって貰えるとは思いませんでした。」

おじ「だからって、努力しないことが良いことだとは言わないよ。やるかやらないかはあくまで君の選択。限界をつくってるのなら、それは君の頭の中にある。いい?」

若手「残念ながらそうですね。はい。」

 

 

おじ「次は、なんだっけ。。えーと、、」

若手「『繋がり』です。」

おじ「あ、そうそう、繋がりね。」

若手「しっかりしてください。」

おじ「ごめんなさい。さて、繋がりって、聞いてどう思う?」

若手「今までやってきたことと、今の状況が繋がっている、っていうことなのかと感じます。」

おじ「うんうん、それもあるね。僕が伝えたいことは『全てが繋がっている』ということ」

若手「よくわかりません。」

 

おじ「仕事を束縛として考えている段階で、仕事は負担なんだよね。」

若手「そうです。」

おじ「でも仕事で嬉しいこともあるじゃん?」

若手「はい。」

おじ「例えば、どういうときに楽しい?楽しかった?」

若手「例えば、一つのプロジェクトが終わって、それなりにお客さんに満足してもらって、上司にも褒められて、ああ、やって良かったなぁ、と思った時とか。」

おじ「お、いいね、その他は?」

若手「あとは、重要な決定事項のための会議資料を作ってて、その会議が無事終わったときとか、達成感を感じます。」

おじ「おお、いい仕事してるじゃない。若者!やるな!」

若手「茶化さないでください。」

おじ「ああ、ごめん。で、その楽しかった経験は今まででどれくらいあった?」

若手「そういわれると、あんまり覚えてませんね。。小さいのを入れるとたくさんあるような、比較的大きいのも一年に一回はあるような気がします。」

おじ「へぇ、それだけ聞いていると、とても恵まれた環境だと思うけどね。」

若手「うーん、そうかもしれませんが。月曜日はやっぱり憂鬱です。仕事かぁ~!って」

おじ「ん?普通のちゃんとした人って、『仕事かぁ~!』ってならないの?」

若手「いやいや、それは言葉のあやですよ。なる人もいるし、ならない人もいるでしょう。」

おじ「じゃあ、何が今の君と違うのよ?」

若手「・・それは具体的にはわかりませんが、、。そんなことより、繋がりはどこに行ったんですか?」

 

おじ「あ、そっちやる?やろうか。そうだね。繋がりは、結論から言うと『仕事の充実が仕事以外の充実を生み、それが仕事の充実を生む』という繋がりのこと。さらに言うなら、すべてが繋がっている、ということは、睡眠、食事、家族との関係、身の回りに起こるすべてが、君の仕事に繋がっている、ということも意味する。」

若手「なんとなく、イヤな予感がします。」

おじ「カンのいい、君ならわかると思うけど、仕事の充実は仕事以外の充実に繋がるよね?」

若手「同意できるところもありますが、できないところもあります。例えば、大きな会議の前には休日返上で仕事をします。それで彼女と仲が悪くなったこともあります。」

おじ「おお、昭和だね!いいね!『私と仕事のどっちが大事?』的なやつね。青春してるね。うらやましい。でも、それって、彼女の主張に矛盾している部分があるってこともわかってるってことね?」

若手「なんとなくですが、、」

おじ「じゃあ、その彼女に対してどういう葛藤を感じた?」

若手「『僕の仕事は君のためにも重要だ、今は僕にしかできないことがあるので、ちょっと待ってほしい』ということです。仕事によって得る収入で、彼女と一緒に遊んだりしてるし、その仕事をしていることを前提に僕と付き合ってると思うので、彼女と仕事のどっちかを取るという選択をすることは無理です。つまり、彼女を選択するために仕事を辞めたら結局は彼女とは一緒にいられないので、彼女を優先するという選択肢は理論的には発生し得ない、のにもかかわらず、彼女は『自分を取れ』と言ってる。そんな感じでしょうか?」

おじ「やるね~。そうだよね。つまり別々にして考えて解決するのは無理だ、ってことだよね。僕は基本的には全てそうだと思ってるよ。君を包むすべての要素が複雑に絡み合って、君の『今・ここ』を作っているので、何かを疎かにして、何かを充実させるっていうのは構造的に矛盾を生むんじゃない?」

若手「でも、仕事でやり過ぎて彼氏や彼女に振られたって話はよく聞きますよね。」

おじ「タイミングの調整はあると思うよ。すべてのことがゼロイチではないからね。一時的に仕事に注力して、そのあと少しの期間は遊びに時間を使うように調整して、とかね。すべてのことを単純化して、言い訳にしてはいけない。」

若手「言い訳にしているわけじゃないです。事実としてありませんか?」

おじ「仕事に時間を使いすぎて、というのは、明確に言い訳だよね。どちらに時間をかけるのかの選択をしたのは自分だよね。フラれるとわかっててそれでも仕事をしたのか、仕事を原因にして別れたかったのかは知らないけどね。」

若手「でも、仕事が本当に忙しい時はしょうがないこともありますよね。」

おじ「無い、とは言わないけど、例えば、親が死んだときの喪主って、仕事が忙しかったら回避する?」

若手「いや、喪主はやります。」

おじ「なんとなくわかる?」

若手「わかりますよ。わかりますけど、極論です。問題の重要性があるでしょ?上司に『親が死んだから休ませてください』と『彼女が愚痴ってるので休ませてください』では、通りが違うでしょ?」

おじ「通りは違うかもしれないけど、仕事に与える影響は同じだよね。休んでる間、他の人にしわ寄せがいくだけ。『僕は今の彼女と結婚したいんです。今、ピンチなんです。プロポーズして結婚を決めてきますので、一日だけ休ませてください!』って言えば休ませてもらえると思うよ。僕なら休ませてあげる。別にプロポーズする必要はないけど、みんなそこまでやったかなぁ。」

若手「だから極論ですって。そこまではやってないと思います。」

おじ「じゃあ、その彼女とはそこまでじゃなかったってことだよ。あるいは、そこまで君が考えてなかったってこと。」

若手「それはそうかもしれませんが、若いうちにそこまで覚悟できませんよ。」

おじ「そうかもね。でも、突き詰めてちゃんと話した?どういう成果を生んだら、君にもどういういいことが起こるから、それが終わったら、一緒に何をしよう、って具体的な繋がりを話した?」

若手「うーん、詳しくは覚えてませんが、そんな話はしたかもしれません。」

おじ「なんだ、やってんじゃん!ちゃんと繋げて考えて、対処してるじゃない。」

若手「そうかもしれないし、でも、実感はありません。」

おじ「つまり何が言いたいか、というと。それなりの幸せが欲しいんだよね。仕事が束縛で嫌なんだよね。じゃあ、その嫌の回避だけを考えていたら解決できないってこと。もっと総合的に繋げて考えないと。」

若手「んん、、難しいです。どうしたらいいかわかりません。」

おじ「おおよそ掴んでると感じるので、また後に話しましょう。」

 

 

おじ「じゃあ、次に行きましょう。目的ね。」

若手「はい」

おじ「今議論すべき目的は何?君の場合、ちゃんとした人並みの幸せ、だったっけ?」

若手「まぁそんなものです。」

おじ「今までの会話で気づいたことも含めて、ちょっと言葉で君の目的を具体的に表現してもらってもいい?」

若手「仕事を楽しんでいる。プライベートも充実している。それらはお互いにお互いの充実を促進させている。月曜日の仕事が憂鬱ではない状況になっている。彼女に矛盾した質問で責められないようになっている。」そんなところです。

おじ「45点。ギリ・アウトです。」

若手「失礼な!」

おじ「でもギリなので良いじゃん。何が問題かというと、その表現は状態だよね。なになにに『なっている』という。」

若手「それが具体化じゃないですか!」

おじ「明確に違うね。状態よりも大切なのは、何を目指しているか。君の目的は本当の目的ではない。わかる?」

若手「明確にわかりません。」

おじ「挑戦的でいいね。具体的には、なんで人並みの幸せが欲しい、ってことを言ってるのかの理由がないってことだよ。」

若手「いやいや、人並みの幸せは欲しいでしょうが!」

おじ「本当に人並みでいい?人並み以上はいらないの?」

若手「いや、そういうことじゃなくて、人並み『は』欲しいってことですよ!」

おじ「ほう、そうすると、僕は人並み程度ってことね。」

若手「悔しいけど、あなたは人並み以上です。」

おじ「予想通りの答えをありがとう。じゃあ、誰と一緒だったら、人並みなの?」

若手「それは人によるでしょうが!」

おじ「じゃあ、人並みっていう基準はないってことね。その人が人並みって思うことができればそれが人並みってことだ。そう?」

若手「そうですね。確かに。」

おじ「じゃあ、要は、どういう風な状態になっている、ということを突き詰めても、それは個人によるので、どこまでを実現すればいいかわからないし?」

若手「それはその時の状況によって変わる。。」

おじ「そうだよね。でも、状況は変わっても、変わらないものがある。」

若手「それが目的だというんですか。目的だって変わりますよ。」

 

おじ「そう、その通り。でも『目的を追ってるか、追って無いか』はそんなに変わらない。一回目的を追う事を知った人は、元に戻れない。いや『戻りづらい』が正確かな。」

若手「意味が解りません。例えば志望した大学に合格したとたんに、燃え尽きちゃうってありますよね?」

おじ「いや、それは、受験は目的にすべきことじゃなくて、目標にすべきことだったってことだね。目的は、突き詰めて言うと、『何のために生きているか。』ということだと思う。」

若手「急に大きな話になりましたね。酔っぱらってます?」

おじ「うん、酔ってる。でも、これは確か。大前提として、目的がないのに手段を議論しても意味がないと思うよ。今回の問題提起について言えば、、なんだっけ。たしか、仕事が束縛だからもっと楽しく生きられないか、って事だっけ?(笑)」

若手「まあ、単純化するとそうともいえます。」

おじ「じゃあ、何が君にとって楽しいってことなのかを突き詰めて考えた方が良いってこと。楽しいことをやって死にたいでしょ?」

若手「そりゃそうです。」

おじ「人生の目的がないのに状態を論じるのは、やるスポーツが決まってないのにユニフォームを選ぼうとしてる、みたいなことだよ。ユニフォームを買うなら、何をやるのかを決めないと、見当違いの買い物をすることになる。」

若手「その例えはわかりやすいですが、この問題と関係あります?」

 

おじ「あるね。もし、本当に楽しいと思うこと、つまり君の人生の目的が今の仕事とは違う、人生のゴールは今の仕事の延長線上にないことがわかったとしたら、どうする?」

若手「それが明確なら、ゴールにたどり着ける行動を選択すると思います。」

おじ「だよね。その新しい行動を選択した時に経験する苦しさと、今の束縛されている仕事を続ける苦しさはどちらが苦しいだろうか?それぞれの苦しさを超えた時に体験できる楽しさはどっちが大きいだろうか?どう思う?」

若手「つまり、君は人生のゴールが定まってないから、今の状況に愚痴を言ってるだけで、愚痴をいう暇があったら、ちゃんと目的を定めて、その上で選択せい、ってことですか?」

おじ「75点!いいとこ来たね。理論的に考えたら、その方が合理的じゃん?ってことね。」

 

若手「まあ、いいでしょう。でも、人生の目的って、そんなに真面目に考えたことないし、見当もつかないですが、すぐ見つかるんですか?」

おじ「見つけてる人もいるし、すぐは見つけられない人もいるし、それは人それぞれ。それに目的そのものも、さっき君が言ったみたいに変わるしね。でも、あった方がいいでしょう?」

若手「そりゃ、なんのために生きているかがわかっている方が楽でしょうね。それが見つかってない僕はどうしたらいいんですか?」

おじ「それは君はもうわかってるでしょ?」

若手「探すしかないってことですか。」

おじ「それはそうだし、探すためには、何をしたらいいと思う?」

若手「わかりません。一人旅とか?」

おじ「違うね。目の前のことを精一杯やるってことだよ。目的を見つけることを意識して、目の前のことに精一杯取り組んで成長をするってこと。ここで、全てが繋がってるって事が出て来る。一つの成長が、他の成長のきっかけになるんだから、成長が繋がり繋がって、そのうち人生をかけたい目的が見つかることに繋がるかもしれないってこと。」

若者「具体的に今とは何が違うのかがわかりません。今も精一杯仕事してますよ。」

おじ「例えば僕なら、よく寝ることから始めるね。仕事の問題を仕事だけで解決する必要は無い。全ては繋がってるんだから、まず、健康を整える。」

若者「よくわかりませんか、それで?」

おじ「健康な体が健康な精神を支えるし、逆も然り。よく寝て、よく食べて、よく遊んで、体を動かして。」

若者「見た目、すでに自由ですね。(笑)」

おじ「時計盤をイメージしてよ。12時の方向にある課題を解決するために、12時方面だけの力を使う必要は無い。3時、6時、9時の力を強めていって、結果的に自然に12時の力を強めていくっていう感じ。わかる?さっき聞いた、仕事でどんな満足感を得たか?ってこともヒントになり得る。やりたい事、やりやすい事から始めるっていうのも、初動としてはあり。これでマッチョのバイアスの一線も超えられない?」

若手「なんと無くイメージはわかりますが。でも、結局、仕事が束縛という事については変わり無いのでは?」

おじ「違うね、それはもう合理的な選択だと解決したじゃん。」

 

若手「その合理的な選択で目的を探す事が、おじさんの言う自由ですか?」

おじ「それもあるね。でも、僕はもう目的は見つけたので、今は純粋に自分の自由を実現するために仕事をしてる。」

若手「おじさんの目的ってなんですか?」

おじ「それは話が長くなるので、また今度ね。今は『世の中を少しでも良くする』ってことに留めとこう。今日は君の話をしましょう。」

若手「え~。ま、いいです。依然、すっきりとは腹落ちしないですが、仕事は束縛ではなく、合理的に選択するもんだ、ということはわかりました。」

おじ「よかった。目的の観点から考えると、どう言語化できる?」

若手「目的はあるに越したことはないので、見つかってなかったら探したい。もし、目的があった場合、その目的を達成するために、何をするべきかを考えて、それを選択していれば、それは自分の選択だから、束縛ではない。もし、目的を見つけられていないんだったら、その目的を見つけるためにやってるんだから、その観点でも束縛ではない。合理的に判断してるだけだ。」

おじ「出来上がる料理を決めてないのに玉ねぎを切って涙を流すのは辛いけど、カレーに入れるために玉ねぎを切るのであれば我慢できるよね。」

若手「急に簡単に例えるのはやめてください。認めたくないですが、論理的には理解できます。」

 

 

おじ「さて、君なりの結論が出たと思うけど、もっと議論するべきことある?」

若手「おじさんがどう考えているかは、論理的には理解できそうです。ただ、それでも月曜日の朝は憂鬱だと思うし、自分の自由のために。。あ、自由ってところはまだ議論してませんよね?」

おじ「うん?それ必要?」

若手「必要でしょ!なぜ、自由なんですか?」

おじ「自由ってなんだと思う?」

若手「束縛がないってことですかね。何をしてもいい。」

おじ「言葉の定義はきちんとした方が良いので、いろいろ調べると良いよ。自由とか平等とか、その言葉の成り立ちの背景を知ることで、自分の考えが整理される。ま、それはおいといて、僕は自由を『自(みずか)らをもって由(よし)とする』ということだと思ってる。大学院の恩師に教えてもらったのの受け売りだけど。」

若手「それはどういう意味ですか?」

おじ「平たい言葉で言うと『自分を見て褒めてあげられる』っていうとわかりやすいかな。自分をみて『お、良くやってるね。』と。死ぬときに自分の人生を振り返って『俺なりによくやったじゃん』と褒めてあげられる、みたいなイメージ。」

若手「それは一般的な自由とは異なりませんか?」

おじ「そうかな。『何をやっても自分がそう思うなら良い』って自由じゃない?『誰がどう言おうとも、自分がすべきだと思うことを選択してする』って自由じゃない?」

若手「確かにそういえばそうですね。」

おじ「君が言う一般的な自由には『我儘』が混じりこんでいると思うけどどうだろう?」

若手「うーん。そうかもしれないですね。」

おじ「ま、それでもいいんだけどね。君がそれで良ければ」

 

おじ「例えばね。おおざっぱにいうと、僕は『世の中が良くなっていくこと』に貢献することを自分の目的にしているので、そのためにすべきだと思うことをやってる。トライアスロンは、僕が歳をとって老害にならず、世の中が良くなることに長く関わって行きたいから、心身ともに鍛えるためにやってる。瞬間的にはあんなにシンドイことはないけど、目的があって、その達成のために必要な選択なのでやるしかない。」

若手「あぁ、そうなんですね。」

おじ「そのトライアスロンを僕は束縛だと思ってると思う?」

若手「いや、好きでやってると思ってましたから。。」

おじ「あんなスポーツ好きでやれるわけないじゃん!死ぬほどしんどいのにスタートとゴール地点が同じなんだよ?何のためにしんどいのか、意味わからん!」

若手「じゃあ、辞めたらいいじゃないですか!笑」

おじ「だから、死ぬときにちゃんとやったねと、自らをもって由しとするために、今やるべきことを選択してやってるんだよ。」

若手「それと選択した仕事は同じだと言いたいんですか?」

おじ「僕はそう考えてるよ。トライアスロンより、よっぽど楽だよ。身体的には。」

若手「そりゃ、そうですね。」

 

おじ「と、なんとなく、言いたいことは言いましたが、伝わったかは不安です。どう?」

若手「まず、相談した相手を間違えたかもしれません。」

おじ「ん。その可能性は高いね。」

若手「でも、もしかしたらとてもいい会話だったのかもしれません。僕がついていけなかっただけで。」

おじ「もし、そうだったらごめんなさい。でも、僕は君のおかげで自分の考えをまとめる事が出来たから楽しかったよ。」

     

若手「今の考えを言語化してもいいですか?」

おじ「ぜひ。でも、僕の考えを纏めてもダメだよ。君が感じたままが本当の君だからね。」

 

若手「はい。つまり・・」

 

 

人それぞれに、仕事に対する思いは違う。酒が入っての相談だから、いつも支離滅裂になるけど、たまには仕事について突き詰めて議論するって面白いなぁと感じる。

自分の傲慢さについて

広島カープの優勝に感じることがあったのでメモ。

 

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※写真は朝日新聞DIGITALより。胴上げされている監督の表情が見えて素晴らしい!


僕は中学生まで野球少年だった。

個人的には野球が好きではなかったけど、両親が野球バカで、

小学校3年生から地元のソフトボールチームに入り、それ以降、

「スポーツと言ったら野球だよね」

という暗黙の了解の中で少年期を過ごした。

 

個人的には野球は好きではなかったので、中一から軟式野球になってただの苦痛。

暑い時に炎天下のグラウンドで練習するし、冬はアトピーで手が切れるし、

守備してても一球も飛んでこないこともあるし、

休みの日も朝早くから練習だし、

意味があるか無いかわからんようなウサギ跳びとかやらされて、、、

「何?声出しって。声出したら野球上手くなんの?」

「野球が上手くなるより、テストの点が取れる方が豊かな生活に繋がる。」

と言って憚らず、野球部員をただの盲目的な集団だと評価してた。

 

でも、他にやりたいこともなかったので、野球部をやめることを許されず

中2の夏休みから、所属はするけど、行かない部員になってた。

練習サボることで非難され、練習に言ってもやる気がないことで非難され

やめさせてくれ、って言っても却下され、、で、どないしたらええねん、、と。

 

なので、個人的には、好きでもないのにやらされてた野球に対して

「ボールを投げて、棒で打って、ぐるっと走って、それって何の意味があんの?」

と、思ってたし、今でも思ってる。

※それを言うならほぼすべてのスポーツがそうなんだけど。

 

野球の事が嫌いでは無くて、嫌いを通り越して、関心がない。

その事を考える時間が勿体無い、という感覚。


でも、今回の広島カープの優勝に関係して、

とっても仲のいい友達が家族ぐるみで楽しんでいたり、喜んでたり、

本当に心の底から感動している広島県民の姿を見ると、

「ああ、これって素晴らしいなぁ。。」

と感じることができた。

 

で、ふと思ったのが、


自分にとって価値あるもの、と

他人にとって価値があるもの、は

同じように価値がある、ということ。

 

これまで、自分の頭で考えて合理的でないものや、

その制度って誰得なんですか?的なものについて、

突き詰めたそうあるべき理由や、

分かりやすい実利がないものについては、

その価値を認められない傲慢な自分が大きかったと思う。

 

それこそ、イケハヤ先生のごとく、

「それって本当に意味あります?(意味無いでしょ?ちゃんと考えてないでしょ?)」

という立場だったけど、

 

でも、今回の広島カープ優勝を喜ぶファンのみんなの姿を見て、

自分にとっては価値がなくても、

誰かにとって価値があるのならば、それは価値があることだし、

自分だってその「誰か」の一部だ、ということを感じて、

何て自分は傲慢だったんだろう、いや、今も自分は何て傲慢なんだろう

と思い至ったので記録。

 

これまでの僕なら、広島ファンに優勝したよ!って言われても

「ふーん」か、

「興味ない」か、

「へぇ、それって意味あんの?」と、

答えていたと思うけど、今の僕なら

「(心から)よかったね~!」

と言えると思う。(広島カープファンの方は僕に声をかけてください。笑)

 

広島カープ、優勝おめでとう!!

スカッとジャパンに対する違和感

家族が『痛快テレビ スカッとジャパン』という番組が好きで、録画してまで観てる。

 
何度か見させられたが、反吐がでる思いだった。
 
ベースとなる物語は
・敵キャラに自分がいじめられる
・ヒーローが現れて敵キャラをやり込める
・自分がスカッとしてニンマリ
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嫌いな理由は3つ。
1.ワンパターンでつまらん。成長がない。
 
これは、子供のヒーローものを観てるのと同じ感覚。
→つまらんけど、子供が見たいなら自分は我慢しよう。
 
2.演技が気持ち悪い。
これは、制作側の狙いでしょう。わざと敵キャラを気持ち悪くしてる。
→気持ち悪いので自分は自分の部屋で本でも読もう。
 
ここまでは、まだ許せるんだが、最後の一つがどうしても許せない。
 
3.物語の主人公の、自分の行動に対する当事者意識の無さへ
  出演者や視聴者が共感しているように感じること。
 
私の基本理解としては、
・自分が誰かにやられて嫌なことがあれば、自分が解決するべき。
・今の自分の環境を変えるのは、自分の行動。
・精一杯やっても環境を変えられない場合は、その環境を受け入れるか、
 その環境から身を引くかが本人の選択。
 
何か嫌なことがあって、それを、誰か(スター)に解決してもらって喜ぶなんて
自分の人生に対する責任感が無さすぎる。
 
また、えてして敵キャラは精神的な発育が未熟な気持ち悪いキャラで、
そのレベルに合わせて対応することも憚られるのに、
誰かに任せて解決(神対応とかいって)してもらい、
人知れずニンマリするなんて、、人として卑しすぎる。あさましい。
 
 
こういう番組が世間の一定の共感を得て、視聴率を取ってるなら
『自分の課題を誰かに解決してほしい淺まし病』でこの国は病んでる、と
感じたのが違和感のもとでした。
 
 
あ、でも、よく考えたら水戸黄門も同じだ。
人って、昔からそうなのかもね。。。

天皇陛下の生前退位に関する報道への違和感について

各党の党首にコメントを求めても、どこも腫れ物に触れるように、本人のご意向か、コメントを控えるかどっちか。

 

なんでそんなに騒ぐ必要があるのかとっても違和感がある。


なんでこんなに違和感があるのかと考えてみたら、

 

いや、そもそも天皇陛下って必要?

 

と思い、個人的には必要性を感じないので、

 

生前退位どころか、これをきっかけに

 

天皇制そのものを辞めたらいいのに、と思ったのが違和感のもと。

 

というか、あんまり関心が無いので、生前退位も制度そのものもどっちでもいい。感心ゼロ。

 

そういうことに世の中がすごく騒いでるので、温度差を感じているってことのようです。

やりたい事をやる事への反論についての頭の整理

「やりたい事を、やりたいようにやればいい」という主張に、
「みんなそんなに強く(賢く)ない。それはマッチョのバイアスだ。」と反論する人への違和感について、頭の整理。


教育の問題だと思う。
特別な強さも賢さも必要ない。


『目的を定めず目の前のやりたい事をやるか、ちゃんと考えて本当に得たいもの得るか』の選択を子供の頃から意識させてないから、なんとなく目の前の楽しそうなこととか、人に決められたことに流されて、
「こんなはずじゃなかった」
ってことになる(なってる)んだと思う。


「今、お菓子を食べるか、ごはんまで待つか」
は、子供とよくやる会話。

 

「今おもちゃを買うか、お誕生日まで待ってもっといいものを選ぶか」も、そう。

 

じゃあ、
「どんな大人になってたいか、そのために今何を選ぶべきか」についても、子どもに考えさせる事が出来ると思う。


大人が子どもに将来を考えさせて、選ばせないから、

あるいは大人がめんどくさがって一緒に考えないから

 

子供達は、
なんとなく遊んで、なんとなく勉強して、
なんとなく部活して、バイトして、
みんながやるから就活して、
ノリで恋愛して、勘違いして結婚して
流れに乗って子供が出来て、

で、気づいたら、身動きが取れないような
気になってる大人が出来上がるんだと思う。


まぁ教育の罪が大きいとはいえ、それでも自分の人生の責任は自分にあるので、本人の責任が一番大きいことに疑いの余地はない。

 


で、違和感の元は三つ。

 

一つ目は、
今がどうであれ、その今を作ったのは自分の選択の積み重ねなんだから、その責任から逃げてはいけないと思う違和感。

 

なので、
「やりたいようにやればいいじゃん」
が難しかったら
「やりたいようにやれないように選択してきたので、やらない(やれない)んです。」
と、答えるのが論理的には正しい。
強さも賢さも関係ない。


二つ目は、
本当はやりたくないんだと思う違和感。

 

ぼんやり考えてる状態ではそうありたいと思うんだが、行動しようとするとめんどくさい。

痩せたいけど食べちゃう、運動したいけど走らない、がいい例。

 

「めんどくさい」っていうのは「やりたくない」っていうのと同義だと思うので、

「やればいいじゃん」
に対して
「よく考えたら、やりたくなかったよ」
が論理的には正しい。
強さも賢さも関係ない。


三つ目は、
本当にやれないのか?がつきつまってないという違和感。

 

「なんでやれないのか?」
に対して、
(本当はそうじゃないと思うけど)「強さと賢さ」が理由だったら、
じゃあ、それをどうやって手に入れるのかを考えて選択して行動するのが、理論的に正しいと思う。

 

でもきっと、本当は怖いってことだと思う。
・こんなこと言ったら怒られる
・収入が下がって生活水準が下がる
・道に外れる
みたいなほんとうはどうかを突き詰めてない思い込みで言い訳をして、

怖さとやりたさを天秤にかけて、怖い方が大きいから、やりたさを選択してないんだと思う。

 

だとすると、怖くなくなるまで突き詰めて考えて、コストとリターンとリスクをはっきりと認識して、何を選ぶかを決めたらいい。

なので
「やりたいようにやればいいじゃん」
に対する反論は

「よく考えてないから怖いんです。」か、
「よく考えたら、やりたいようにやらない方がいいと出たので、それを選択してるんです。」
だと思う。


と、ここまで書いて、
・なんとなくの見えない恐怖に立ち向かうにはほんの少しの強さが必要で
・選択によって発生するコストとリターンとリスクを導くにはほんの少しの賢さが必要なので


元々の違和感の元である
「みんなそんなに強く(賢く)ない」
という反論も、三つ目の論点ならあながち間違ってないところもあるかも知れないなと感じました。

 

以上、今朝の頭の整理でした。

EUからイギリスが抜けることでポンドが下がることへの違和感のもと

金融は心理学だということだと思う。
EUの方がイギリスよりも大きいから、なんとなく後ろ盾がなくなった感じになって、
みんながイギリスを不安視しているんだと思う。
実態はまだ何も起こってないのに。その不安が実体を作ったりもするけど。
 
EUの目的は
・戦争の回避
・(対米、中、日への)経済的存在感の強化
だと思う。
 
戦争はヨーロッパ内でドンパチやることはないだろうから、
戦争回避の目的は達成しているような気がする。
 
で、
イギリスの世界への経済的存在感がEUによるところがあるかどうか、が
ポンドの価値を左右をしていると思う。
 
 
イギリスにとってはOKだと思う。
・EUの中では優等生なので、劣等生の支援を辞めることで、手残りが増えて
 更なる投資が出来て、価値創造力が高まる。
・流通総量が減っても、効率化できるので、手残りは増える?
・そもそも自分達で選んだ。
 
一方、EU(w/o イギリス)にとってはNGだと思う。
・チーム内の有力選手を失ったので経済力が低下する。
・有力選手を失うことが、チームの信用を害することにつながり、
 経済的存在感(そもそもの目的)を下げる
 
 
で、だ。
 それがポンドの評価をどうするかというと
・イギリスにとってはいいんだから、ポンドはいいじゃん
 流通総量が下がっても効率的になるから、ポンドはより良いじゃん!
ととるか、
・イギリスの後ろ盾がなくなったんだから、不安
 流通総量が下がることで、ポンドは下がるんじゃ、、
で、世の中のみんなはおおよそ後者にいるってことだと思う。
そもそもその後ろ盾が頼りにならないから、離脱するんだけど。
 
本当にそうなのかな。。
私は前者の可能性も大いにあると思う。ポンドに限定したら。
 
一方、イギリス単体よりもEUの方が経済影響力(総量)が大きいので、
そこへの信用不安の方が世界的には問題だと思う。
 
いずれにせよ、感じたのは、
金融は信用で成り立ってて、信用は心理学>実体であることはいいんだけど、
世の中が「後ろ盾への信用」を重視していることへの違和感
ポンドが下がることへの違和感のもとのようです。
 
ポンドが下がるよね、って言っている人たちが、身近によくいる 
起業・独立する人を心配顔で批判する
寄らば大樹の陰の、その大樹の評価をちゃんとしてない人達に見えた気がします。
 
最初の話に戻りますと、ポンドがどうなるかどうかは、
本当は、国の取引高とか税収とか雇用とか移民の数、福祉支出、などなど
数字で検討しないと妥当な解は出せないと思います。
なんとなく、ポンドが下がることをみんながウンウンって言ってたので、
本当にそうなのかな?っと思った次第です。

ワークライフバランスについて

「ワークライフ・バランス」という言葉への違和感について頭の整理。

 
ワークとライフはそもそも対義語じゃない、と思う。
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ワーク(仕事)の反対は、、、レスト(休養)プレイ(遊び)?
いやいや、質の高い休養や遊びが、仕事のクオリティを高めるので
それらはつながった概念だと思う。
 
ま、仮に、ワークとライフは別だとして(別じゃないんだが)
それのバランスをとる、という考え方は
Aをとったら、Bをとれない、っていう二者択一に聞こえる。
それじゃぁ、発展がない。
 
どっちもどっちに影響して
A+Bの総量を高めていくのがいいんじゃないかと。
 
そもそも
ワークとそれ以外を分けてる段階で、ワークに引っ張られてるような。。
 
遊ぶように働き、遊ぶことで休む、仕事は休養だ、という
いい意味での混同が最も成果が出るような気がするんだが、どうだろうか。
 
 
なので、自分にとって「ワークライフバランス」はなく
どうやってより快適なライフスタイルを作るか、
どのようなライフタイムクオリティを望むのか、
だと感じたのが違和感のもとのようでした。
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なお、私自身はライフスタイルを
・自分
・家族
・社会
の三つの側面で捉え、その中心に夢を置いている様です。
 
特段、大した意味はありません。

ホームスクールの是非について

友人から長男の小学校時期の教育をホームスクーリングにする、と聞いて頭の整理。
 
個人的には、とっても良いことだと感じる。
 
その友人曰く、近くにある公共の小学校は
・子供一人あたりに割く大人の力が足りない。
 小学生30人に対して、1・2人の教師がつくことで、
 全ての子供のその子らしさを高めるのは無理がある。
 限られた資源で決められたカリキュラムを過ごすことを強いられ、
 その子らしさが潰される。
・教師の能力が足りない
 本当に優秀な教師は少ない。(自分の方が上手く教育できる)
・教育(カリキュラム)の内容がまずい
 子供達が迎える将来に役立つことが教えられていない。
 覚えることが考えることよりも優先される。
・社会性は学校でなければ身につかないものではない。
 ボーイスカウトなどの「目的のある集団生活」は積極的に関わらせたい。
 理不尽ないじめや、空気を読む力、は経験するに値しない。
・本人の意思を尊重する
 今は家がいいと言っているが、本人が学校に行きたいと言えば行かせる。
確かのその通り。
 
自分の子供にも許されるならば、そうしたい。
 
 
確かに、僕の経験では、小中には、人格としてウマの合わない人や、悪意の多い人も多くいる。いじめもあったし、何より、僕自身がひどいもんだった。
確実に、理不尽の方が、合目的性よりもはるかに多いかった。
誤解を恐れずに言えば、義務教育中の教育はほとんど無駄だった。
 
ま、でも、そういうのを楽しめるのも暇な子供の特権だと思うので、
僕は公教育も、改善点は山ほどあるけど、悪ではなかったと感じている。
 
 
一点だけ、自分と彼が違うなぁと思うのは
効率的・合目的性が高いと思われることのみをすることが本当にいいことなのか、
という点についての『程度』。
 
僕は人生の目的に「いろんな人たちと関わる」「いろんな経験をする」ということがあると信じている。
 
彼の主張のように、ためになるか・アウトプットがどうか、ということももちろん重要だが、
「ため」や「アウトプット」の良悪も、極端に言えば全て人間の解釈の問題なので、
それだけに拘らず
「あるものをありのままに受け入れてみる、問題があれば調整する」という方が性に合う。(私の性に合わせる必要はありませんが)
 
 
「楽しめる期間なんだから、死なない程度の毒も、最初は食べてみよう!」と考えるか
「ちょっとでも毒を食う時間があれば、ためになることをする方がいい」と考えるか
の違いか。
 
そして、その「ためになること」を自分ができるかどうかの能力の違いもある。笑
その友人は教育業界での経験が長く子供の指導・保育の経験もあるので自信がある様子。
 
なので、僕は無理だけど、その友人の取り組みは応援したい。
何で協力できるか、彼とも相談したい。絵描きのおじさんとかいいな。
 
なんと無く、羨ましかったので頭の整理。

価値がある事とは何かについて

妻に

「それ意味ある?」とか「その目的は何?」
って聞いてたら、
「あなたはあなたにとって価値がないことに関心が無い、冷たい」
と妻に言われ、
 
そりゃそうに決まってるじゃん、と思いながらも、非難されるってことは、あまりいいことじゃないと思うので、どういうことなのか頭の整理。
 
 
そもそも、全ての人にとって価値があることなんて無いと思う。
天皇制、一夫一妻制などの制度。
・スポーツ、勉強などの行動。
・宗教、価値観などの思想。
何においても、その人の人生の目的に合致するかどうか、合目的性が高い(以下、合目的性が高い事を"GMT"とする)判断なのかどうかがその人にとっての価値だと思う。
 
 
なので、目的が無いなら、何をやっても価値が無いと思う。
ただ楽しいとか気持ちいいとか、そういう事にGMTのヒントはあるだろうが、
表出している一時的な快楽や慣習に流されたり、
誰がが昔に決めた慣習に流されて現段階でGMTになってないことを続けているのは愚かだと思う。
 
 
で、
基本的にはGMTは、楽しい(Fun)と実利がある(Benefit)に分かれ、
優先順位は投資するコスト(Cost、時間、信用、お金、労力などの全てね)に見合うかどうかで決めると思う。
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つまり、
GMT / C > 1
であれば価値があることで、分解すると
F / C × B / C > 1 
なら、間違いなくGMTであって、そのGMTの値の高さを判断するってことだと思う。
 
 
コミュニケーションとか、それをやることそのものが目的となることもあって、
それはそれで悪いことではないと思うが、
でもやっぱりそれがGMTの優先順位が低いならやめた方が良いと思う。
暇つぶしならいいけど、潰す暇があるならGMTな事に使った方がよっぽど有意義だ。
もちろん、休養は必要だけど。
 
 
なので、
酒も煙草も博打も薬も、健康で長生きすることよりも、
今この瞬間に得られる快感を
意思を持ってGMTだと優先しているなら、その人にとって価値のあることだと思う。
 
 
極論として、「生きていることそのものに価値がある」という説があるが、
私は生そのものは、その人にとって意味は無いと思う
価値がある・意味がある、ということは、それが有る状況と無い状況を比較して、
有る状況の方が何かいいことがあるので意味があるというんだと思う。
なので、命が無い状況では意識がないと仮定すると、
生きていることの価値の有無を比較できないので、結果、
生きていることの意味を計れない。(ので、感じられない。)
 
 
しかしながら、例えば家族の命は何よりも尊いし、友人・知人の命も大切だ。
それは、人は他人と関係することで、その人の価値が生まれるということだと思う。
つまり、
生きていることそのものに意味があるのではなく、
生きて他人と関わりを持つことによって、価値が生まれるってことだろう。
言葉を変えると
「あなたが生きていることそのものが、周りの人にとって価値がある」
ってことだと思う。
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でも、いつ終わるかわからない人生だから、出来るだけ価値の高い人生を送りたい。
 
 
で、自分の生の価値を高めようとしたら、
自分にとってGMTな人とGMTな関係を作る、ってことになるだろう。
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打算性が過ぎるような気もするが、
例えば、多くの人にとって、
自分の子どもが自分らしく楽しい人生を送ることを何よりも望んでいると思う。
なので、子どもの命を守るように行動し、そのように人に接することは、親にとってのGMTだってことだ。
と、考えると、まぁ妥当だと思う。
 
 
とはいえ、
合目的性を追求しすぎると長期的には価値創造が尻すぼみになる恐れがあるとも思う。
人工知能で最適化された広告は、学習により人が行うより効果を上げる時期が来るが、
最終的には市場を食い荒らしてしまって効果を出せなくなるって聞いたことがある。
『遊び蟻』っていう隊列を組まない蟻が蟻社会のリスクヘッジになってるって聞いたこともある。(真偽は不明だが)
 
 
そのため、自分が価値を高め続けるためには、
ある程度、偶発性を受け入れる必要があると考える。
これがプランドハプンスタンスってことだと思う。
 
 
なので、
GMT優先度が低く、一見取り組む価値がないと思うことに関心が無くてもいいんだが、
 
その出逢いを楽しむことが巡り巡って
自分の価値向上に資する可能性があるかもしれないと思うので、
これからは出逢うことについてGMTだけを求めるのは避けようと思う。
 
 
最後の最後までジコチューの垂れ流しだが、そういう考えでも、何らかの行動変化のきっかけになりそうな頭の整理だったので記録。
 
 
 

39歳の誕生日に決めたこと

明日が40歳の誕生日なので、
去年の39歳の誕生日に決めたことを記しておきたい。


去年の誕生日、根拠はないけれど「半分来たな」と思った。
同時に「来年の誕生日に新しい人生が始まる」とも思った。

今まで出来なかったことや、やらなかったことをしたら、
新しい人生がもう一回生きられると思って嬉しくなった。


で、何しようかなぁと、ワクワク妄想を始めて最終的には
「本当の意味での自分を人生を生きよう』と
いうところに行き着いた。


振り返ると、他人の目を気にして生きてきたことが多かったと思う。


流行りのものを買って
流行りのお店で飯を食って
とにかくなんでもリア充アピールのためにSNSにアップして
(特に海外に行った時とか、、冷汗)
今考えると自己承認欲の暴走が本当に恥ずかしいんだが、
ま、それはその時の自分として認めるしか無い。


でも、2011年度からグロービス経営大学院に通い出して
自分の能力の低さや傲慢さをメッタメタに叩き潰されて、

ちょうどそのころ仕事でも大きな失敗や成功を経験して
少しずつ姿勢が変わって来たような気がする。


一昨年に友人と会社を起こしたけど、いろいろな事情があって
結果としてはジョインできなかったことが本当に本当に残念で、
それが尾を引いていたので、そんな気持ちになったのかもしれない。


とにかく、『人の目を気にしない本当の自分で生き始める』と決めたわけだ。


で、真っ先に思ったのが
『70歳の時に偉大なる現役でありたい』
だった。


70歳になった時、わかった様なわからんような独りよがりの正論を振りわまして誰の役に立ってるのかわからないヨボヨボジジイじゃなくて、70歳だからこそ出来る何かで誰かの役に立っているヨボヨボジジイになりたい。


そのためには歳を取っても、体、頭脳、精神、共に正常でいる必要がある。
なので、体は鍛えないといけない。勉強も続けないといけない。


次に、
今までやらなかった、嫌いなことに挑戦しようと思った。
39にもなると、それなりに自分の勝ちパターンができてくるから
それはそれで悪いことではないんだが
その延長には無い成長をするために、自分の箱の外に出ようと思った。


で、最も無駄で嫌いなことは何か?を列挙して、
結論として、トライアスロンをすることにした。


仕事や家族への責任を踏まえて、トライアスロンなら
・十分な嫌悪感

・今とれるリスクとコストのギリギリ感

・ありたい将来像(70歳で心身ともに健康な現役)
が満足できると思った。


80歳でトライアスロンをしている人をテレビで見たり
最も尊敬する友人の一人のはまちゃんがトライアスロンやってたり
カフェカンの楠本さんとか、トライアスロンやってる人になんかすごい人が多いような気がして
そういう人たちが見ている世界を見たいし
すごい人たちとご縁ができたら嬉しいという下心も後押しした。

で、トレーニングを始めて、39歳の間に初級者用レースに一本だけ出られた。


仕事でも新規事業を提案しているし、
『自分らしい人生を歩みだす準備期間』
としての39歳の1年間は満足できるものだった。


そして、今日から40歳。新しい人生を始めたいと思います。