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頭の中の整理のためのブログ

日常で感じるはてなを、自分なりに論理立てる訓練の為の記録

精神的な慣性の法則について

精神的な慣性の法則は何故起こるのか?

意味が無いことが続けられていたり、ひどい時にはやめた方がいい無駄な投資が続けられているのは、何故か?

①人は何かを変える意思決定する際にエネルギーを使うのでそのパワーを無意識にセーブしようとしている。

例)急用でバイトのシフトを友人に代わってもらった後に、その急用が無くなっても、なんとなくバイトを休んじゃいたい気持ちが起こる。もともと、バイト代が欲しいからバイトをしているし、友達に急に変わってもらって迷惑をかけてるんだから、合理的にはその友達に連絡して、やっぱり自分がバイトに行くのが合理的。しかしながら、すでに調整がされていることを変えることを避けたい気持ちが働く。


②誰が決めたか不明な決定事項は権威に感じてしまうので、それに逆らうより従っている方が楽だし、なんとなく正しいと感じる。

例)一夫一妻制をいつ誰が決定したかをよく調べれば、それが制度であり、倫理上の問題で無いことがわかる。仕事上、なんでかわからんけど経なければならない手続きがあって、それがイケてない上司のこだわりだってわかった瞬間、無視するようになる、とか。理由を調べずに盲目的になってた方が、精神的に楽な人もいる。


③長期的には変えた方がいいんだが、短期的なプラス効果(➕)とスイッチングコスト(➖)を足し合わせて、パフォーマンスが今より減ったら変えたくない。(今、俺がやらなくてもいいや、となる。)

例)一回あたりの効果が本当は100出せるんだけど、ある課題のために60点になってる現状において、その課題を変えたら80点になるんだけど、変えるための労力やいらぬ批判を受けることが60点分あったら。次回は20点になるわけで、そうすると、長期的な視点に立ったらやった方がいいんだが「今はいいか、俺じゃ無くてもいいか」と、思っちゃう。


よくよく考えれば、本用的には狩猟民族も農耕民族も、より効率的に食料を確保するために学習するので、何か明らかな課題や変えることによるメリットが無いと前例を変えない。

そういう意味では、毎年、無駄な成人式が税金でやられることの理論展開が納得できる。波風を立てたり、突出したり、リスクをとることが嫌いな役人が多勢だからだろう。誰かが言いだしても、責任が及ぶ範囲の周りが止めるし、本人にも身を呈するほどの大義がないだろうから。

批判的に考えれば、何かを変えるってことは新たなリスクを生むことになるので、現状でさして困ってなければ、自分からは何かを変える十分な動機にはならない。

ただし、どこを見ているか、という事で違いが出る。目の前のことしか見られていないと、気がつけば餌のない狩場にポツーンになるかもしれない。餌があっても獲れない自分になってるかもしれない。より将来を見る人が起こした流れに死ぬことが分かってて巻き込まれるかもしれない。

なので、
精神的な慣性の法則があることを自覚して、些細な事でも決めることや変えることがめんどくさく感じた時に、
「いやいや、ヤバイバイ。合理的、合目的的にはどっち?」
と、自分を諌めるようにしたい。