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頭の中の整理のためのブログ

日常で感じるはてなを、自分なりに論理立てる訓練の為の記録

ホームスクールの是非について

友人から長男の小学校時期の教育をホームスクーリングにする、と聞いて頭の整理。
 
個人的には、とっても良いことだと感じる。
 
その友人曰く、近くにある公共の小学校は
・子供一人あたりに割く大人の力が足りない。
 小学生30人に対して、1・2人の教師がつくことで、
 全ての子供のその子らしさを高めるのは無理がある。
 限られた資源で決められたカリキュラムを過ごすことを強いられ、
 その子らしさが潰される。
・教師の能力が足りない
 本当に優秀な教師は少ない。(自分の方が上手く教育できる)
・教育(カリキュラム)の内容がまずい
 子供達が迎える将来に役立つことが教えられていない。
 覚えることが考えることよりも優先される。
・社会性は学校でなければ身につかないものではない。
 ボーイスカウトなどの「目的のある集団生活」は積極的に関わらせたい。
 理不尽ないじめや、空気を読む力、は経験するに値しない。
・本人の意思を尊重する
 今は家がいいと言っているが、本人が学校に行きたいと言えば行かせる。
確かのその通り。
 
自分の子供にも許されるならば、そうしたい。
 
 
確かに、僕の経験では、小中には、人格としてウマの合わない人や、悪意の多い人も多くいる。いじめもあったし、何より、僕自身がひどいもんだった。
確実に、理不尽の方が、合目的性よりもはるかに多いかった。
誤解を恐れずに言えば、義務教育中の教育はほとんど無駄だった。
 
ま、でも、そういうのを楽しめるのも暇な子供の特権だと思うので、
僕は公教育も、改善点は山ほどあるけど、悪ではなかったと感じている。
 
 
一点だけ、自分と彼が違うなぁと思うのは
効率的・合目的性が高いと思われることのみをすることが本当にいいことなのか、
という点についての『程度』。
 
僕は人生の目的に「いろんな人たちと関わる」「いろんな経験をする」ということがあると信じている。
 
彼の主張のように、ためになるか・アウトプットがどうか、ということももちろん重要だが、
「ため」や「アウトプット」の良悪も、極端に言えば全て人間の解釈の問題なので、
それだけに拘らず
「あるものをありのままに受け入れてみる、問題があれば調整する」という方が性に合う。(私の性に合わせる必要はありませんが)
 
 
「楽しめる期間なんだから、死なない程度の毒も、最初は食べてみよう!」と考えるか
「ちょっとでも毒を食う時間があれば、ためになることをする方がいい」と考えるか
の違いか。
 
そして、その「ためになること」を自分ができるかどうかの能力の違いもある。笑
その友人は教育業界での経験が長く子供の指導・保育の経験もあるので自信がある様子。
 
なので、僕は無理だけど、その友人の取り組みは応援したい。
何で協力できるか、彼とも相談したい。絵描きのおじさんとかいいな。
 
なんと無く、羨ましかったので頭の整理。