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頭の中の整理のためのブログ

日常で感じるはてなを、自分なりに論理立てる訓練の為の記録

やりたい事をやる事への反論についての頭の整理

「やりたい事を、やりたいようにやればいい」という主張に、
「みんなそんなに強く(賢く)ない。それはマッチョのバイアスだ。」と反論する人への違和感について、頭の整理。


教育の問題だと思う。
特別な強さも賢さも必要ない。


『目的を定めず目の前のやりたい事をやるか、ちゃんと考えて本当に得たいもの得るか』の選択を子供の頃から意識させてないから、なんとなく目の前の楽しそうなこととか、人に決められたことに流されて、
「こんなはずじゃなかった」
ってことになる(なってる)んだと思う。


「今、お菓子を食べるか、ごはんまで待つか」
は、子供とよくやる会話。

 

「今おもちゃを買うか、お誕生日まで待ってもっといいものを選ぶか」も、そう。

 

じゃあ、
「どんな大人になってたいか、そのために今何を選ぶべきか」についても、子どもに考えさせる事が出来ると思う。


大人が子どもに将来を考えさせて、選ばせないから、

あるいは大人がめんどくさがって一緒に考えないから

 

子供達は、
なんとなく遊んで、なんとなく勉強して、
なんとなく部活して、バイトして、
みんながやるから就活して、
ノリで恋愛して、勘違いして結婚して
流れに乗って子供が出来て、

で、気づいたら、身動きが取れないような
気になってる大人が出来上がるんだと思う。


まぁ教育の罪が大きいとはいえ、それでも自分の人生の責任は自分にあるので、本人の責任が一番大きいことに疑いの余地はない。

 


で、違和感の元は三つ。

 

一つ目は、
今がどうであれ、その今を作ったのは自分の選択の積み重ねなんだから、その責任から逃げてはいけないと思う違和感。

 

なので、
「やりたいようにやればいいじゃん」
が難しかったら
「やりたいようにやれないように選択してきたので、やらない(やれない)んです。」
と、答えるのが論理的には正しい。
強さも賢さも関係ない。


二つ目は、
本当はやりたくないんだと思う違和感。

 

ぼんやり考えてる状態ではそうありたいと思うんだが、行動しようとするとめんどくさい。

痩せたいけど食べちゃう、運動したいけど走らない、がいい例。

 

「めんどくさい」っていうのは「やりたくない」っていうのと同義だと思うので、

「やればいいじゃん」
に対して
「よく考えたら、やりたくなかったよ」
が論理的には正しい。
強さも賢さも関係ない。


三つ目は、
本当にやれないのか?がつきつまってないという違和感。

 

「なんでやれないのか?」
に対して、
(本当はそうじゃないと思うけど)「強さと賢さ」が理由だったら、
じゃあ、それをどうやって手に入れるのかを考えて選択して行動するのが、理論的に正しいと思う。

 

でもきっと、本当は怖いってことだと思う。
・こんなこと言ったら怒られる
・収入が下がって生活水準が下がる
・道に外れる
みたいなほんとうはどうかを突き詰めてない思い込みで言い訳をして、

怖さとやりたさを天秤にかけて、怖い方が大きいから、やりたさを選択してないんだと思う。

 

だとすると、怖くなくなるまで突き詰めて考えて、コストとリターンとリスクをはっきりと認識して、何を選ぶかを決めたらいい。

なので
「やりたいようにやればいいじゃん」
に対する反論は

「よく考えてないから怖いんです。」か、
「よく考えたら、やりたいようにやらない方がいいと出たので、それを選択してるんです。」
だと思う。


と、ここまで書いて、
・なんとなくの見えない恐怖に立ち向かうにはほんの少しの強さが必要で
・選択によって発生するコストとリターンとリスクを導くにはほんの少しの賢さが必要なので


元々の違和感の元である
「みんなそんなに強く(賢く)ない」
という反論も、三つ目の論点ならあながち間違ってないところもあるかも知れないなと感じました。

 

以上、今朝の頭の整理でした。