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頭の中の整理のためのブログ

日常で感じるはてなを、自分なりに論理立てる訓練の為の記録

大人の役割とは何か。

ある学童指導員の講話を聴く機会があって、聞いてて本当に耳が痛かったので、備忘と頭の整理のためのメモ。

 

子曰く、、

・子どもたちが『ただいま~!』と当たり前に帰ってくることが一番の幸せ。

指導員を十数年やっていると、起こってはいけない辛い事件に出逢ってしまうことがある。
ふとした瞬間にフラッシュバックして、悲しくて涙が出そうになってしまうこともある。
今思い返せば、当時の子ども本人やまわりから、少しずつ「助けて・・」っていうサインが出てたんだと思う。
若い時の自分はそれに気付けなかった。言い古された表現だけど『事故が起こってから後悔』した。


だからこそ、もう二度とそういうことにならないように、目の前にある当たり前の幸せを守ることに全力を尽くしたい。
そのために、昨日と今日の子どもの違い、すなわち『子どもから出るサインの変化』を、感じられる指導員でいられるよう努力している。


→今、手に入れている環境を『いつまでも変わらない前提』として認識してしまう事はよくあることだと思う。
本当は『これまでの自分の行動や、関係するいろいろな経緯が絡まって、今はたまたまこうだ』という事なんだろうなぁと思う。
講師の姿勢を見習い、今ある環境に感謝して、同時にそれをより良くしていくことに努めたいと思った。

 

子曰く、、
・我々が求められているのは『向き合う』こと。

子ども達を叱って、大人のいうことをきかせることが我々の仕事ではない。
子ども達のいうことをなんでも聞いてやるのも、我々の仕事ではない。

 

子どもたちの言動を善悪で評価して、片づけてしまうことは簡単。
人は弱いから、複雑な問題や難しい問題を抱えると、単純化して納得して(楽になって)しまいたくなる。
でも、子ども達も家庭も、それぞれの事情を『単純化して納得』して欲しいとは思っていない。
それに、独りよがりに単純化して納得して(自分は楽になって)も、当事者の課題は何一つ解決されない。

 

学童指導員で解決できることに限界があることは事実だ。でも、生活の場(家・家族)ではなく、学習の場(学校・先生)でもなく、遊びの場で一緒に過ごしている大人だから作れる子ども達との関係はある。
だから我々だからこそ出来る役割があると思っている。

子どもたちの言動は、それぞれの事情を抱えながら自分たちだからこそ出してくれる「こっちを向いて!」というサインだと受け止めた方がいい。安易に片づけ(て、自分だけ楽になら)ず、子ども達や家庭に向き合っていくことこそが我々の役割だと考えている。

子どもや家庭と向き合うことは辛いこともある。それは、自分と向き合うことにも繋がるからだと思う。


偉そうなことを言っているが、自分は今でも、声を荒げてしまうこともある。悩んでしまうこともある。そんな時は子どもに乱された心を自覚して『(自分も)まだまだだ』と感じる。それが自分を高める動機になっている。


→課題を単純化したり分解したりして解決策を探ることは、ビジネスを進める上では必須なスキルだと思う。
 それが有効だから、人間関係や家庭が抱える課題の解決とか『本来の目的がそこでないこと』にも当てはめてしまうミスを、僕はしがち。。
 自分も安易に楽になろうとせず、課題に向き合う姿勢を取っていきたい。

 

子曰く、、
・コミュニケーションの悪循環と好循環の要因は自分にある。

【悪循環】
 言ったってどうせ分からない、から、言わない。
 言わない、から、更にわからない。
 わからない、から、不信感が生まれる。
 信頼関係が出来てないと、何を言っても伝わらない。
 更に、何を言ってもわからない、となる。

【好循環】
 言っても伝わらないこともあるけど、言わないと伝わらない。
 伝わってなければ、言い続ける。
 伝わってなくても、接点を持ち続けることで信頼関係が生まれる。
 信頼関係が出来ると、言わなくても伝わることも出てくる。
 言わなくても・・に甘えず言い続けることで、更に伝わるようになる。

 

子供に対しても保護者に対しても同じ。一緒に働いてる同僚に対しても同じ。『分からない』と『伝わらない』の違い。どこに、誰に、課題があると認識しているか。


→反省します。。


最後にその方は『子ども達が「自分はもっといい人間になれる」、「自分はいい大人になれる」という希望を持ってもらえるようにしたい。』とおっしゃっていて、それって学童指導員だけじゃなくて、大人全員の役割だなぁと思った。

 

最近、自分は子ども達と向き合ったかな、妻と向き合ったかな、なんてことを妄想した一日でした。


以上です。